フードエッセイスト・平野紗季子の文章は、これまで誰も気が付かなかったような角度から料理や飲食店に光を当て、新しい魅力を教えてくれる。食にまつわる感動をアップデートし続ける彼女は、日々、何を思うのだろう?
そうですね。いまは誰でも、「自分が何を食べて、どう感じたか」を発信できる時代ですよね。グルメサイトや口コミサイトは、たくさんある。そういう状況の中で、私は、飲食店に対して「ただ情報として処理していく」という向き合い方ではなく、扉の先に広がっている物語を味わいたいし、みんなにも味わって欲しい、という思いがありました。
体験の価値って「どんな扉から入るか」で変わっちゃうと思うんです。だから、何か少しでも、いい扉を作っていけたらという気持ちで活動しています。例えば接客態度が悪いお店に対して、「接客態度、星ひとつ」という風に向き合うのではなくて。接客態度が悪いように見える裏側に、そのお店ならではの考え方や情熱があったりする。そういった魅力を届けていきたいなと。
お店って、人生だと思うんです。
兵庫県の港町に「思いつき」という喫茶店があって。そこは、ドアーを開けると、4人のおばあさまが立っている。四姉妹でやりくりしているお店なんですね。それで、彼女たちが、思い出話をしてくれるんです。ジャムトーストを作りながら「もうね、昔は本当に忙しかったのに、うちのお母さんたらすごくゆっくりジャムを塗るのよ。こっちが"早く早く"って急かしても、全然出てこなかったの」なんて喋っている。それで、そのおばあちゃんがジャムを塗る手つきも、めちゃくちゃゆっくりで。
それを見て私は、「ああ、人生だな」と思った。
誰かに簡単に消費されるための物語ではなくて、このお店に関わってきた人たちの集積が、お店になっているんだなぁ、と実感しちゃったんです。私はそのお店に、人生の中のたった一瞬だけ、お邪魔させて頂いてるに過ぎないんだ、って。
そしたら、そのお店に対して「星ひとつ」なんて言える権利、ないんじゃないかと思えてきたんです。だってその人の人生なんですもん。
そんなふうに考えていくと、全てのお店が面白い。
チェーン店であっても、創業者の想いとか、そこにいる人たちの生き様が見えてくると、それだけで本当に感動しちゃうんですよね。
映画は、それを観ることで心を揺さぶられたり、人生の意味を見つけたりすることがあると思いますが、私は映画を観るような感覚でお店に行っているのだと思います。
それから、お店って独特の淡い連帯があると思う。食事をして、その場所にいるといういうだけで孤独や疲れが癒えていく……みたいなこと。隣の人とかお店の人とか、弱い関係性の中で浄化されていくものがあって。
できるだけいい扉を用意できたらと思っているけど、「その足で出会う」っていうのが、一番の贅沢なんじゃないか、とも思う。
最近は、写真や口コミのような二次的な情報を得てから、Googleマップで位置を調べて、お店に向かう……というのが基本的な出会い方になってきた。でも、「なんかこのレストラン気になるな」と思って、ふっと入って、それがいいお店だったら、もう最高じゃないですか。ネタバレしていない、まっさらな感動。「高級だから」とか、「予約困難なお店だから」とか、そういう「条件ありきの満足」とは全然違うベクトルの感動だと思うんです。
誰にも知られていない店に、自力で出会う。そうやって出会ったお店のことは、忘れられないですね。
そうですね、香りから入る体験も好きです。
街角の匂いも好きだし、夕方の、食事を用意してる家の匂いとか、飲食店からの排気口の匂いも大好きで。お気に入りの排気口コレクションがあるんです。「いい匂いの排気口かどうか」って、色々と条件があって。排気口がしっかり角についているかどうか、とか、揚げ物の匂いでも、酸化していない綺麗な油を使っているか、とか。
赤坂の5丁目のすき家は、めっちゃいい匂い。
忙しい会社で働いてた頃、すごく疲れていた私は、うつむいたまま通りを歩いてたんです。「何食べようかな」って思いながら。そうしたら、いきなり甘辛い牛肉の匂いに包まれて。その日から、すき家のことが好きになった。ああ、ある日出会うんだな、って。