フードエッセイスト・平野紗季子の文章は、これまで誰も気が付かなかったような角度から料理や飲食店に光を当て、新しい魅力を教えてくれる。食にまつわる感動をアップデートし続ける彼女は、日々、何を思うのだろう?
私、定期的にホワイトニングに行くんですけど、ちょっと最近はサボり気味で。でも、こういうプロダクトがあると、歯の白さを保ってくれるので、いいですよね。素敵です。
今、新しいブランドというか、お菓子を作っていて。(NO) RAISIN SANDWICHって言うんですけど。私、レーズンが苦手なんです。食べられない。でも、レーズンサンドってめっちゃ美味しそうじゃないですか。だから、レーズンの入ってないレーズンサンドを食べたかったんです。レーズンを挟んだ通常のものと、レーズン以外の果物をサンドした「ノーレーズン」とを出すんですよ。春がチェリー、夏はレモン、秋は栗、とか。おいしいですよ、すごく。
デパートの5階ぐらいに入っている、やる気のない小さな喫茶店。
やる気がなくて、すごく暇そうなマダムが3人ぐらいお喋りをしていて。あるいは、静かなおじいさんが一人、そっと出てきたりして。あの雰囲気。
世の中、「刺さった」とか「感動した」とか、そういうもので溢れているじゃないですか。食事もやっぱり「めちゃくちゃ感動させたい」という意気込みがあったりする。そういう、みんながボクシングのリングに立ち続けるような状況そのものに辛くなることもある。
そんなときに、デパートの5階にある喫茶店に行くと、何も感じない。「何も感じなかった」ことに、癒されるんです。何も感じさせないって、実はとてつもない価値をはらんでいて。特別においしいわけじゃないけど、嫌な要素もない、という。例えば、床がベタベタしてたら「やだな~」って思ったり、何かしら感じる。でも、そういうものもない。引っかかることのない良さがあるんですよね。
水羊羹かな。
最近は、「ギリギリ個体だけどほとんど液体」みたいな食べ物がすごく好きで。口に含むと水みたいに溶ける寒天とか。死ぬ前には、硬いものとか固形物とか食べたいな。水だとつまんない。
水があまり好きじゃないんです。子供の頃、常温の水を飲んだ時に「なんてつまらないものなんだ!」って、怒りすら感じたんですよ。味も香りも温度もないじゃないですか。
めちゃくちゃ仕事に追われて、「食べる時間がない」みたいになることもある。
でも、どんなに忙しくても、おいしいものを食べて一日を終えよう、って、会社員の頃に決めたんです。
ある日、オフィスを出たときにふと「なんて自分は空っぽなんだろう」って思ったんです。何も感じない、今日の空の色も知らないし、流れていく景色を見ても何も思わない、そんな瞬間があった。それで、家の前に夜中までやってる食堂があったから、そこでご飯を食べて帰ろうと思ったんです。本当は今すぐにでも家に帰りたかったけど、お店に行って席に座った。
そうしたら、お店の人が何も言わずに春菊のすり流しを出してくれたんです。それが、すごく美味しくて。胃に染み込んでいく。
そのときに、「自分にはものを感じる力が、まだ残っているんだ」と思えた。心を取り戻したような感覚になって。私には、この時間が絶対に必要だって分かったんです。だから、どんなに疲れて追い詰められていても、おいしいものを食べる時間を作ろうって決めました。