ホテルの持つ意味を再定義し、今までにない空間を生み出し続けている気鋭のホテルプロデューサー、龍崎翔子。「あたりまえ」を疑い、新たな価値を創造してきた彼女は、今何を考えているのか。生きざまについて聞いてみました。
社会がものすごいペースで変わっていることを再確認させられたなと思っています。
今まで「観光地は逃げないから焦らなくていいじゃん」という言われかたをしていました。けれど、日本でさえ70年前に空襲があって街の景色は劇的に変わっていたはずのに、なぜ人は「観光地は逃げない」と思うようになったんだろう、と。平和な時代が長すぎて「土地や街は不変のものだ」と思うようになっていたけれど、実際には刹那的なものなんだ、という自覚が広がり始めたような気がします。そういう意味では、旅に出るときに、「今行かないと、もう行けないかも」という感覚は強くなっているんじゃないかな。
もうひとつ、抽象的なレベルでは「そもそも一泊したら旅なの?」という視点があります。旅って、自分の中にもある。物理的に移動しなくても、非日常的なことに取り組んだりとか、普段の自分と違うことをしたりとか、そういうこと全てが旅だと思うんです。これは岡田悠さんの『0メートルの旅』という本に書かれていることですが、「日常生活を送りながら、自分の日常を変える」アプローチですね。例えば、いつもの帰り道を一本変えてみることなんかも、解釈次第では旅たりえるのかなと思います。
私は、日本にいるときに外国人のふりをして過ごしたことがあったんです。例えば全部英語で喋ってみたりして。そうすると、英語で喋ると邪険に扱われるのに、日本語で喋ると急に丁寧対応される、という体験ができたりする。そんなふうに、自分のあり方次第で、遠くに行かずともインナージャーニーができる。自分自身が非日常になることで、日常が非日常になる。
異なる視点をどれだけ自分の中に持てるか、ということが、その人のキャラクターが持つ深みにつながっている気がします。
先日、普通に喋っていたら「今日は<一粒万倍日>と<天赦日>が重なってる日なんです」と急に言われて。そういう、おめでたい日があるらしいんですけど。私はその言葉を知らなかったので、急に非日常に飛び込んでしまったような感覚になって。これは面白いなと思いました。
他にも、沖縄のパン屋さんを取材しに行ったら突然、「このあたりは<気>をこうすると整えることができるんだ」というようなことをおっしゃる。そうしたら、それまでガイドをしてくれていた人も急に「いやでも実際この人の言う通りだよ、この辺りは凄惨な歴史があって、でも、ここだけめちゃくちゃ気がいいんだよね」と。急に共通言語が変わるので面白いんです。そうした体験を拒絶するのは簡単ですが、その人たちの世界にお邪魔するのも一つの旅かなと思います。
HOTEL SHE,は自分の良い思いが詰まってる場所なので、そこでお世話になった人や友達をみんな集めてパーティーするのは良いかもしれないですね。最後だってわかっていたら、なるべく色んな人に会いたい。HOTEL SHE,OSAKAをオープンした時に、仲良くしていた人を200名ほどご招待したんです。1週間にわたって毎日お客さんが来てくれた。でも、わーっと遊ぶのではなく、それぞれが思い思いに過ごしていて。その中で、おしゃべりしたりする時間があって。結婚式なんかも、こういう時間なんだろうなと思ったんです。結婚式が幸せな時間だった、と言っていた人の気持ちがちょっとわかった。そういうのをホテルで、もう一度できたら良いな。