音楽、グラフィックアート、俳優と、マルチな領域で活躍するタレント、松田ゆう姫。「オリジナルを作りたい」と話す彼女がたどってきた日々は、どんなものだったのか。日々の暮らしから創作への想いまで、幅広い質問に答えてもらったインタビュー。
食べたくて作っているわけじゃあないんですよね。「作り」たくて。餃子の皮をいろんな配合で実験的に作って、作り終えたら満足しちゃうんです。捏ねたり混ぜたり、そういう作業がすごく好きで。だから、誰かに食べてもらわないと、冷凍庫がどんどん埋まっていく。
なにかに没頭している時間が好きなんです。編み物をしているような感覚に近いかもしれません。あるいは、洗濯機を回っているのを見ている人とか。
全然使ってますけどね、市販品も(笑)。でも、自分だけのオリジナルを作りたい。「オリジナルじゃなかったら意味がない」って、思っちゃうんですよ、何回やっても。私の手柄じゃないじゃん! っていうのが悔しくて。だから、塗り絵とかも苦手です。天井が見える感じっていうか。自分が描いた絵を塗るのは好きだけど。
とはいえ、「これをやりなさい」と言われたらわりとやるタイプの子供でした。家庭環境的に、「人と一緒じゃダメだ」ということが自分の中でプレッシャーとしてあります。私はすごく普通の人なんですよ。普通であることに昔から、すごくコンプレックスがあって、どうにかユニークにならないと、といつも考えていて。だから、オリジナルじゃないと意味がないって思うようになりました。それがプレッシャーでした。
「不安に思っていることの90%は、実際には起こらない。だから、余計なことは考えない方がいいよ」って言われたことがあって。確かに、なかなか起きないじゃないですか。それを考えている時間がもったいないって思うようになったかもしれないですね。起きちゃうときは、起きちゃうから。
あんまりそういうことは考えなくなりました。もちろん、オリジナルじゃないといけない、という思いはエッセンシャルとしてありますが、許容範囲が広がってきた、という感じですね。「これじゃないといけない」ということを自分に課すこともあまりしないようになってきたかもしれません。
右脳的な「感覚」によるインプットと、左脳的な「関係性」からのインプット。このバランスが崩れないようにしています。それを心がけるようになったエピソードを話しますね。
……テレビに出るようになって、最初はよかったのですが、タメ口などで炎上してしまった後ぐらいから、だんだん、心が削られるようになっていたんです。もともと団体競技が苦手なタイプで、でもテレビは団体競技なんですよね。うまくいかなくて、逃げたくなってしまった。
ある夜、眠れなくなって。翌朝は収録があるから眠らないといけないんだけれど、どうしても眠れないんです。なんとか寝ようとすると、眠りに落ちた瞬間に悪夢を見てしまう。エンドレスで、光る目のモンスターたちが登場したりして。「これはやばい、心が病んでいる」と思いました。
それで、パジャマ着のまま大雨のなかを公園まで走っていって、大きな樹を探しました。「この公園で一番大きな樹はどれだ」って。探して、見つけた大木に、抱きついたんです。……午前二時に、びしょ濡の人間が一人で、大木に腕を回している。異様な光景ですよね。そんな状態だけど、理性はあるんですよ。だから、誰も見ていないかなとキョロキョロ周りをうかがいながら抱きつきました(笑)。
そうですよね。でも、その日はぐっすり眠れたんです。こんなこと初めてだった。
あれはなんだったんだろう、と色々考えたんですが、あの瞬間の自分は、右脳的感覚を欲していたのではないかと。社会の中で、人間関係とか様々な部分で左脳ばかり使っていたんだと思います。だから、「なんか好き」とか「いい香り」とか「てのひらで木肌を感じる」とか、そういう右脳的な部分が不足して、バランスが悪い状態だったのかなと。言葉ではないエネルギーを感じることが必要だった。
そういうことがあってから、右脳的なインプットを入れようと思って街を歩いていたら、たまたま入った本屋さんでパッと目に入ったのが古田徹也さんという哲学者の『不道徳的倫理学講義』という本でした。それまでは活字が得意ではなかったのですが、読んだらめちゃくちゃ面白くて。当時の自分とリンクして、もう、一人でハイタッチしたくなっちゃった。文学ってこういうことなんだ、友達なんだな、と思って。そこから、哲学関連の本を読んだり、遠藤周作さんの本に出会って、遠藤周作ブームが来たりしました。
団体競技が求められる社会のなかで過ごして、ずっと対人的なコミュニケーションをとっていると、「お腹すいた」とかそういう動物的な感覚がなくなっていく。それがダメだったんだなと、極限状態の中で知ることができた期間だったなと思っています。『不道徳的倫理学講義』の感想をTwitterに投稿したら、著者の古田徹也さんからDMをいただきました。やっぱりこういう本を書く方は、とても素敵な人なんだなと思いました。自分が感覚的に求めたものが、出会いにつながっていった。
養老孟司さんも、打ち合わせなんかで会社に訪ねて行って社長室に呼ばれると、「大きな石を置いた方がいいですよ」と言うらしいです。「なんで石なんですか」と聞かれると、「その問いこそが石を置く意味なんだ」と。地球上には当たり前に石があるのに、私たちは「なんでオフィスに石があるんだ」と考えてしまう、と。面白いなあと思いました。許容範囲を自分の中でどれだけ広げられるか、っていうことが、物事を豊かにしていくと思います。
一人は嫌ですね。大好きな人たちと一緒にいられれば、それでいいかも。最後は人かな、やっぱり。